第13回  護持会総会法話 12.6.23 講師;佐々木玄吾先生(元豊平道場主)
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(資料)

『蓮如上人御一代記聞書』(『真宗聖典』八八九頁)

第一九一条 一 「行くさきむかいばかりみて、足もとをみねば、踏みかぶるべきなり。人の上ばかりにて、わがみのうえのことをたしなまずは、一大事たるべき」と、仰せられ候う。

 

おはようございます。午前中の一番大事な時間を四○分もいただきまして、しかも、『人生の一大事』というような、仰山な題名を書きまして話をさせていただけるということは、大変ありがたく嬉しく思っております。

私は毎回『「蓮如上人御一代記聞書』の話をしていますので、今回もその話にしたいと思います。第一九一条、そこに印刷したものがありますから、ご一緒に読んで下さい。

 

第一九一条 一 「行くさきむかいばかりみて、足もとをみねば、踏みかぶるべきなり。人の上ばかりにて、わがみのうえのことをたしなまずは、一大事たるべき」と、仰せられ候う。

その最後の一大事をとって、『人生の一大事』としました。

一、  足もとをみねば、踏みかぶるべきなり

 

つまり、自分の足もとを見なかったならば、落とし穴に落ちたり、あるいは、ものに躓いて大怪我をする。踏みかぶるべきなり。足もとが大事だということを言っているわけです。未来のことばっかり、あるいは、これから先の計画のことばっかりを考えていたのではいけない。自分の足もと、つまり、足もとが大切だと言っているわけです。

 

  足もとが大切 (現在の充実)

 

そこで、大事なことは何かというと、未来ということでなく、現在が充実することが大切である。足もとが大切ということはどういうことかというと、現在の充実ということが大切である。どうやったら現在の充実ができるか、それは過去と結びつくということが現在の充実になるのですね。過去というものを投げ捨ててしまったら、現在の充実はないのです。過去というのは歴史ですが、過去というものに感謝、ありがとうございます、ということ。そして、現在は歓喜ですね。信心歓喜といいますけれども、現在というのは歓喜、喜びですね。そして、未来というのは使命といいますか、報恩といいますか、そういうことになっていくわけです。

 

過去(感謝)・現在(歓喜)・未来(使命)

 

そこで、本当に現在が充実する者は過去に対しては感謝、ありがとうございます、と言う。現在は喜び、未来は使命。そういうふうになるのです。

五十数年前に明星学園という学校で私は教師をしていました。その時の子供たちがこの前、クラス会をしてくれました。なんと、その子供たちは現在六十七歳でしたね。その時に、非常にあの時よかったと言って、心から喜んでくれる人が集まって、四十人ばかりのクラスで二十人も集まったのですから、びっくりするのです。死んだ人もいますけれど。それで、明星学園という学校が非常によかったと言ってですね、皆、喜んでいてくれる。中でも非常に成功したという人ほど、あのことが良かったと言っている。だから、過去というものに本当に感謝ができるということは、非常に大切なことですね。

そういうわけで、足もとというのが大切なのです。現在の充実が何よりも大切。本当に現在が充実するものは、過去に対しては感謝し、未来に対してはこれからやるぞ、頑張るぞ、というふうなものがあるのだということを言っている。

 

二、わが身のことを嗜む

 

次に、わが身のことを嗜む。嗜むとは、心掛けるとか、努力するとかということなのですが、大事なことは、自分のことが大事なのだと言っている。

人の上ばかりみてというのは、一家の主人なら自分の奥さんとか子供とかに、あそこが悪いとか、ここが悪いとか、人の上ばかり見て人を批判している。人の上ばかり見て、わが身の上のことを嗜まず。わが身ということが大事なのだということです。

 

  わが身 (われわれからわれへ)

 

わが身ということは、私たちは、わが身わが身と言いますけれども、実際は、我々の中に入り込んで私というものは出てこないのです。わが身ということが出てくるのは、それは、われわれからわれへという言葉があるのです。私たちは、我々の中に入り込んでしまっていて、私というものにならない。

だから、仏法ではわれということを言うのです。天親菩薩という人の『願生偈』の中には、どういうことがあるかというと、「世尊我一心 帰命尽十方無碍光如来」と言われる。(『真宗聖典』一三五頁)

 

「世尊我一心 帰命尽十方 無碍光如来」

 

『願生偈』の一番初めの言葉です。「世尊、我一心に、尽十方無碍光如来に帰命して、安楽国に生まれんと願ず。」という所から始まっているのです。その時に、世尊というのは、お釈迦様のことをいい、帰命尽十方無碍光如来というのは、南無阿弥陀仏に帰命する。そこのところに、皆と共にではなく、われ、私は一心に、皆と一緒にではなく、われというのは、『尊号真像銘文』(『真宗聖典』五一八頁)を見てみますと、われというのは、「世親菩薩のわがみとのたまえるなり。」

 

わが身とのたまえり

これを書いた天親菩薩は、「われというのはわが身とのたまえり」、こういうふうに言われて、われというのは、そういう世尊、教主を持ち、尽十方無碍光如来に帰命するという、そういうものが生まれた時に、われというものが出てくるのです。だから私たちは、私は、私はというけれども、その私は、我々と一緒の私であって、本当にわが身ということにならない。だから、わが身ということを嗜む。わが身ということが大事なのだ。そして、天親菩薩の続きを読みますと、「我依修多羅」というのがある。『願生偈』にある言葉です。(『真宗聖典』一三五頁)

 

我依修多羅 (経典)

 

修多羅とは、『経典』ということです。スートラと言って、『経典』。我というものが本当に成り立つためには、『経典』、『聖典』をいつも私の依り処にする。『聖典』を依り処にして生きるというところに、われがあるのです。だから「大経の会」でも、『聖典』にどういうふうに書いてあるのか、いつも『聖典』を開いて、自分にとってどうかと考えて、それを依り処にして生きていくことに、われというものがあるのです。

そこで、私というのは、そのまま私であるのか。それは必ず共にというものと一緒なのです。本当にわれというものが確立したら、共に、つまり、「われからわれわれへ」。

 

共に (われから われわれへ)

友よ!

 

本当の私というものが確立したら、必ず「友よ、一緒に」という呼びかけを持つようになる。だから、この護持会総会に、皆さんが集まって下さることは、私一人で『経典』をいただいて満足しているのではなく、皆さんに呼びかけ、皆さんと共にという世界、皆さんと共に護持会総会をやっていきましょうという、必ずわれが確立したら、必ずわれからわれわれへと言って、また帰ってくる世界が必ずあるわけです。

そこで、今回も護持会に新しい人が増えたということを聞きまして、ありがたく思っているわけです。そうして大事なことは、

 

三、私において

 

私において、わが身のことを嗜むとはどういうことなのか。おまえはどうなのかということです。今回は私自身が考えたことなのです。私は八十二歳になりまして、どうも今年は風邪が治らなくて困っているわけなのですけれど、そういうわが身において嗜むということはいったいどういうことなのか。そういうことをとても考えました。お手本になる人、つまり、親鸞聖人の御晩年はどうだっただろうかということを考えました。

 

○聖人のご晩年

 

伝記というものを読む時が二つあると言われます。一つは、人生の坂を上っていく時。本当に優れた人というのは、どういう生き方をしているのだろうかと、若い時に人生の坂を上っている時に、伝記を読む時がある。もう一つは、人生の坂を下る時。親鸞聖人で言えば、九十歳で亡くなられるわけですから、最後の十年。八十代の親鸞聖人はどういうふうに生きていかれただろうか。そういうことが私も晩年と重なりまして、どのように人生の坂を下って行ったらいいのか非常に参考になります。親鸞聖人のご晩年は、三つの特徴があります。

1、称名念仏のすすめ

2、現生正定聚の喜び

3、宿業の諦観

 

一つは、称名念仏のすすめ。念仏を申そうということを非常にすすめられた。

二つめは、現生正定聚という、つまり、現実人生において正定聚不退のところにいる喜び。正定聚に住するという喜び。

三つめは、宿業の諦観。自分の宿業ということをよく考えられた。そういう特徴があります。

まず初めに、称名念仏のすすめです。

 

@称名念仏のすすめ

 

親鸞聖人のご晩年は、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と念仏申すことをとってもすすめられました。そこで、私も現在、本当に人生の一大事は何かと考える。それは、お念申すことだと考えます。信心決定して、念仏申す身になるということが、人生の一大事だというように思うのです。

聖人はどのように言われたかと言いますと、

 

弥陀大悲の誓願 ふかく信ぜんひとはみな

ねてもさめてもへだてなく 南無阿弥陀仏をとなうべし」 (『真宗聖典』『正像末和讃』五〇五頁)

 

そしてまた、信心の人はそうかもしれないが、そうでない人、それはまだ信心に至らない人に対しても、

 

「信人のひとにおとらじと 疑心自力の行者も

 如来大悲の恩をしり 称名念仏はげむべし」      (『真宗聖典』『正像末和讃』五〇六頁)

 

まだ信心に至らなくても念仏申すということをすすめられた。

私たちもここで、さきほど子供さん達が一緒に歌を歌われましたよね。手を合わせ合掌し、お念仏しておられる姿を見て、これは信心決定して念仏申すということには遠いわけですが、こうして私のような年寄りも、まだ小学生の子供さん達も一緒にですね、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」とお念仏を申していく僧伽ですよね、これがものすごく尊いことで、人生の一大事はこのことなのだということを、今頃はしみじみと感じるのです。

ここで、光照寺というものがこうして存在して、皆さんが集まって、今日も朝から「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と、お念仏申しておられる。これはもう本当に尊いことであり、歳をとった私自身としては、本当にありがたいことだと思います。どうかこれが末代まで存続してくださればということを願っているのです。幸いなことに、副住職様も結婚されて跡を継いでおられて、私共としては、こんなにありがたい、嬉しいことはありません。それが、称名念仏のすすめ。

 

A現生正定聚の喜び

1、妙声功徳(いつでも教えが聞こえる)

2、主功徳(主を持っている)

3、眷属功徳(夫や妻を友よとよべる)

4、清浄功徳(浄化される)

 

二つめは、現生正定聚の喜び。それを親鸞聖人が晩年になるほど喜んでおられる。

正定聚の喜びのうちの一つ、何が正定聚の喜びかというと、「妙声功徳」といって喜ばれた。功というのは何かというと、非常に優れたということ。徳というと何かというと身についたものということなのです。「徳は得なり」と言って、この「徳」はこの「得」なのです。身について離れないということが徳なのです。功というのは優れた、妙なる声、非常に優れた教えが私の身について離れないものだ。

つまり、いつでも教えが聞こえる。そういうのを「妙声功徳」というのです。私たちは非常に悲しい現実に出遇います。嬉しいことばかりではない。悲しいことがある。あるいは、非常に苦しいことがある。あるいは、病気をする。子供が色々な問題を起こす。そして、自分自身が歓喜、歓喜というけれども、本当に意欲もなくなり、喜びもなくなり、落ち込む。特に、病気をしたりすると、もうこれで終わりではないかと思ったりします。

その時に、聞こえてくる声がある。それがどういう声かというと、

 

「他力の悲願は、かくのごときのわれらがためなりけり」    (『真宗聖典』『歎異抄』六二九頁)

という『歎異抄』の言葉です。如来の本願、それを悲願といいます。大悲の願。かくのごときのというのは、このような体たらくの、かくのごときのわれらがためなりけり。われらというのは、複数に書いてありますが、本当は単数なのです。私の、他力の悲願、如来の本願は、このような体たらくの私のためでありました、南無阿弥陀仏。妙なる声が聞こえてくるということはそういうことなのです。私が落ち込んでいる。意欲も失った。もうどうしようもない。人からも非難される。喜びも失せてしまった。

『歎異抄』の第九章には、

 

「念仏もうしそうらえども、踊躍歓喜のこころおろそかにそうろうこと、またいそぎ浄土へまいりたきこ

ころのそうらわぬは、いかにとそうろうべきことにてそうろうやらん」(『真宗聖典』『歎異抄』六二九頁)

 

という言葉がありますけれども、意欲も喜びも失せた。もう本当に落ち込んだ。その時に、このような体たらくの私のためでありました、南無阿弥陀仏、と言う時に、その落ち込みから解放されるということがあるのです。それが、妙声功徳。私の身について離れない。

その次に二番目は、「主功徳」。主功徳というのは、主人を持つということです。私の主人を持つ。私にはそういう主人がいないわけです。普通の人は。ところが、仏法を聞いていく。「聞法・勤行・念仏」という、そういう道をたどっていけば、必ず主人というものが私にできるのです。その主人とは何かというと、南無阿弥陀仏なのです。それを本尊というのです。光照寺はお木像ですけれども、南無阿弥陀仏というのが、御本尊なのです。蓮如上人は、「木像よりは絵像、絵像よりは名号」と言われ、南無阿弥陀仏が御本尊。その御本尊を持つ身になる。だから、

 

「如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし

師主知識の恩徳も ほねをくだきても謝すべし」   (『真宗聖典』『正像末和讃 』五〇五頁)

 

という御恩というものが生まれてくる。主人を持つことは、恩徳というものが生まれてくる。恩徳とはなにかというと、御恩によって、お蔭によって、私が得たもの、身についたもの、それが恩徳なのです。だから、如来大悲の恩徳は、如来大悲というのは、南無阿弥陀仏によって回向されて私が得たその身についたものに対しては、身を粉にしても報ずべし。私の身を粉にしても、それに報いていかなくてはいけない。師主知識の恩徳もというのはなにか。法然上人、七高僧、私を教えてくださった先生の教えによって、私の身についたものに対しては、骨を砕いても報謝しなくてはいけない、というのが、親鸞聖人の八十六歳の時のお言葉です。親鸞聖人の若い時に、血気盛んな時に、こういうことを言われたのではない。八十六歳といえば、病気もされたでしょうし、色々身体も衰えていたでしょうと思うのですが、その時に、「如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし 師主知識の恩徳も ほねをくだきても謝すべし」という、恩徳に対する感謝、そういうものが満ち溢れている和讃を作られるのです。八十六歳です。本当に私も八十二歳です。人間は弱いからいつ死ぬかわかりません。しかし、親鸞聖人は強かったのだろうと思うのですが、多分衰えておられたでしょう。が、その時に、そういう報恩謝徳が溢れるような若々しさというものがある。たいてい歳を取れば、愚痴を言って、本当に子どもがだめだからこうなったとかですね、世の中がだめだからこういうふうになったとか言って、子供のせいにしたり、世の中のせいにしたり、あるいは、自分がどうしてこういう弱い身体に生まれたのだろうかと愚痴ったりすることばかりなのですけれども、聖人はその時にそうではなくて、「身を粉にしても報ずべし ほねをくだきても謝すべし」という言葉ですね、八十六歳の時にですね。これは『正像末和讃 』の中にあります。これは優れている。

そうして三番目です。「眷属功徳」というのは、私と切り離せない。私に所属しているものなのです。眷属。つまり、私に友ができる。よき師、よき友が、眷属です。よき師、よき友が、私に与えられた時に、夫や妻を、「友よ」と呼べるようになる。眷属とは、私の傍の人ですね。それが友となる。そういう世界を賜る。もし、夫や妻を本当に「友よ」と呼べる人は、近所隣、そういう人に対してもすべて「友よ」となるのです。

そうして次に、「清浄功徳」。清浄功徳とは、すべてのことが浄化される。つまり、転悪成徳される。悪いことが起こっても、それがつまり良いことになる。浄化される。清らかにすべてのことが浄化される。それを清浄功徳といいます。南無阿弥陀仏の用きに出遇うと、私が照らされて、照らされて、照らし切られて、どんなことが起こっても、私が問題なのだと、私に問題があることがわかってくる。それが南無阿弥陀仏の光明無量の用きなのです。その時に、他の人が問題なのではないのだ。私自身に問題があるのだ。私が問題なのだとなるのです。

しかし、「私が悪かった。われはわろし。」といくら言ってみても落ち込むのです、落ち込むばっかりになる。その時に私が悪かった。私に問題があるからといくら反省してみても落ち込む事にしかならない。その時に、寿命無量という南無阿弥陀仏のいのちというお徳が私にはたらいて、他力の悲願はかくの如くの体たらくの私のためでありました、南無阿弥陀仏、となるのです。

つまり、すべてのことがここにおさまる。「他力の悲願はかくの如くのわれらがためなり」という言葉は非常に大事な言葉です。このような体たらくの、落ち込みもするし、本当に色々な問題を起こす私、このような体たらくな私のためでありました、南無阿弥陀仏。そういうのが、南無阿弥陀仏の光明無量・寿命無量の(はたら)きというのです。そういう世界を、聖人は喜ばれたのです。正定聚の世界に住しているということを喜ばれたのです。本願の第十一願というのは、「必至滅度の願」といわれ、その中の正定聚に住する。現生、現実この人生において、正定聚に住することを非常に喜ばれ、晩年にはそのことをとても言われるようになったのです。

 

B宿業の諦観

 

三つ目は、宿業の諦観。宿業の問題です。これは晩年、親鸞聖人の善鸞義絶。親鸞聖人が八十四歳の時に、跡継ぎの善鸞を義絶される。勘当されるのです。それ以後に、宿業という言葉を言われるようになったのです。宿業ということは、親鸞聖人の御晩年のご了解ですね。だから、非常に分かりにくいことなのです。

しかし、そのことがわかっていくということが、私たちの最後の問題。自分の宿業がわかることが、私たちの最後の問題なのです。宿業ということは、『歎異抄』にしか出ておりません。どのように出ているかといいますと、

 

「故聖人のおおせには、『卯毛羊毛のさきにいるちりばかりもつくるつみの、宿業にあらずということ

なしとしるべし』とそうらいき。」         (『真宗聖典』『歎異抄』第十三章 六三三頁)

 

故聖人のおおせには、卯毛羊毛というのは、ウサギの毛、羊の毛の(さき)るちりばかりもつくるつみの、宿業にあらずということなしとしるべし、と言われている。すべてのことは宿業なのだと。

私どもの先生である夜晃先生が言われるには、「一生の生き方として申したい。それは、未来及び現在、過去を通じて一切の出来事は、これすべて私の宿業と如来の御はからいのみである。」と言われた。だから、宿業という問題を考えられた。

また、細川先生というのは私の先生ですが、その人は、「宿業というのは、如来の(はたら)きによって知ることができる、私が受けとるべき現実なのだ。」という言い方をされました。そして、私の宿業とは、家内や子供であり、それが私の具体的現実である。私の宿業とは、私の家内である。私の子供である。これが私の受け止めるべき現実である。

曽野綾子という人は、「この子は私の子供です」というふうに言う時がある。それは、子供が刑務所に引かれていく時だ。その子供が刑務所に引かれていく時は、この人とだれも関わりたくない、他人のふりをしたい。しかし親だけが、この子は私の子供です、と言って抱き取ることができるのだ、と『戒老録』という本に書いてありますけれど、私たちも、私の宿業は家内や子供であるということを考えることができる。

私は日野の方で、ここから二時間ほど離れているのですけれど、そこで子供会やいろいろな聞法会をしております。それはここの住職と同じですけれども、ここの住職は、さっきも一族郎党が仏前で勤行しておられる。そうして、ゆかりの人たちが歌を歌っておられる。そのように私も、日野というところで、家族と共に聞法し、勤行し、念仏してゆきたい。本当に宿業を受け取っていきたいということが、今回の感想です。ありがとうございました。

 

あとがき

 

 本冊子は平成二十四年六月二十三日、第十三回護持会総会における佐々木玄吾先生のご法話の記録です。

「人生の一大事」というテーマでお話を頂戴しました。今回も『蓮如上人御一代記聞書』のお言葉をテーマにお話いただきました。何が「人生の一大事」であるのかを先生自身の歩みを通して語られました。

先生は本書にて、「本当に現在が充実する者は過去に対しては感謝、ありがとうございます、と言う。現在は喜び、未来は使命。そういうふうになるのです。過去(感謝)・現在(歓喜)・未来(使命)」、「私も現在、本当に人生の一大事は何かと考える。それは、お念申すことだと考えます。信心決定して、念仏申す身になるということが、人生の一大事だというように思うのです。」とお話されました。また、『本当の私が確立し、確立したら、「われからわれわれへ」必ず「友よ、一緒に」という呼びかけを持つようになる。だから、この護持会総会に、皆さんが集まって下さることは、私一人で『経典』をいただいて満足しているのではなく、皆さんに呼びかけ、皆さんと共にという世界、皆さんと共に護持会総会をやっていきましょうという、必ずわれが確立したら、必ずわれからわれわれへと言って、また帰ってくる世界が必ずあるわけです。』と頂きました。

根本の問題を具体的にお話頂きまして、護持会員の方々とはもとより、ご縁の人と共有していきたいと感じました。

 先生にはご多忙の中、原稿に目を通して頂き、この場をお借りしまして厚く御礼申し上げます。

 又、ご法話のテープを原稿に起こして下さいました、護持会役員の淡海雅子様、校正を手伝ってくれた伊東良英氏には多大な感謝を申し上げます。合掌

 

平成二十五年六月三十日

  第十四回護持会総会にあたり   光照寺副住職 池田孝三郎