第16回  護持会総会法話 15.6.21 講師;佐々木玄吾先生(いずみ会館館主)
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(資料)

『蓮如上人御一代記聞書』(『真宗聖典』八五四頁)

第一条

一.勧修寺の道徳、明応二年正月一日に御前へまいりたるに、蓮如上人、おおせられそうろう。「道徳 はいくつになるぞ。道徳、念仏もうさるべし。自力の念仏というは、念仏おおくもうして仏にまいらせ、このもうしたる功徳にて、仏のたすけたまわんずるようにおもうて、となうるなり。他力というは、弥陀をたのむ一念のおこるとき、やがて御たすけにあずかるなり。そののち念仏もうすは、御たすけありたるありがたさありがたさと、おもうこころをよろこびて、南無阿弥陀仏に自力をくわえざるこころなり。されば、他力とは、他の力というこころなり。この一念、臨終までとおりて往生するなり」と、おおせそうろうなり。

 

 

 

 

(版書)

 

一.蓮如上人と道徳

         七九歳  七四歳

自力の念仏と他力の念仏

          から

二.和讃

定散自力の称名は
果遂のちかいに帰してこそ
おしえざれども自然に
真如の門に転入する

          (十八願)

『真宗聖典』『浄土和讃』 四八四頁 (十六)

 

果遂の誓い―本罪を知る

転輪聖王 ・・・王子

      深く自らを悔責する(懺悔)

  

        本罪とは   五逆 誹謗正法

一.父を殺し 二.母を殺し 三.師を殺し

四.和合僧を破り   五.仏身より血を出す

          (恩知らず)

 

三.私に於いて本罪を知るとは

          母 九六歳没

@ 独りでもさびしくない

A 四人の子が念仏するようになって嬉しい

 

おはようございます。只今紹介をいただきました 佐々木玄吾と申します。今日はお手元にあります資料の『蓮如上人御一代記聞書』の第一条をお話したいと思います。

 

一.      蓮如上人と道徳

   七九歳  七四歳

 

 初めに蓮如上人と道徳について話したいと思います。蓮如上人と言うのは本願寺八代の上人なのですけれど。非常に苦労なされた方です。皆さんご存知のように。この時は蓮如上人は七九歳、道徳は七四歳、五歳違うのです。それで七九歳といえばかなり年なのですね。非常に苦労されて山科に本願寺を造られたかたです。吉崎御坊という所を退去されて京都に帰ってくるのです。そして京都の山科に山科本願寺を造られるのです。それは大体六四歳の頃から始められて六八歳で完成されます。七九歳と言えば山科本願寺に十一年もおられて、そこが繁盛してきた頃なのです。時に勧修寺村という山科本願寺の隣に勧修寺という所があるのです。そこに道徳というのが住んでいる。そこで道徳は蓮如上人が住んでいる山科本願寺に正月一日にご挨拶に参ったというのですね。その時に蓮如上人が仰せられた。それが今ここに書いてあることなのです。「道徳いくつになるぞ。道徳念仏申さるべし。」道徳いくつになったか。道徳は山科本願寺にお参りして蓮如上人のお話を聞いていた。月に一回聞法会。月に一回と言わずもっと参られたかも知らないですけれど。そこにいって聞法し、そして勤行を教わり、家でも念仏してそして仏法に心をかけておられたのですね。七四歳です。後にこの人はお寺、勧修寺のお寺、西念寺というお寺の開基になられた。そういう人なのです。聞法し勤行し、念仏をして蓮如上人の教えをよく聞いておられた。その人にむかって蓮如上人が仰せられた。どういうことを仰せられたかというと、念仏には自力の念仏と他力の念仏があると。聞法し勤行し、念仏をする。それではまだ足りない。そこをもう一歩越して本当に広い念仏の世界に出て欲しいという願いが蓮如上人にあったので、この年老いた道徳に向かって蓮如上人が自力の念仏を脱して他力の念仏、自力の念仏と他力の念仏があるのだけれど自力の念仏から他力の念仏に進んでいかないといけないのだ。とこういうふうに言われたのです。非常に身に沁みる教えなのですよね。仏法を我々は聞いている訳ですけれど本当にこれでいいのだろうか。自分の念仏は間違いないのだろうかと思うわけです。そこを蓮如上人も自分でそこを超えていかれた。そのことで道徳にむかってもどうか自力の念仏から他力の念仏へ道徳よ、すすんでいって欲しいと、そういうふうに蓮如上人が正月元旦にあたっていつも聴聞に来られている道徳にむかって話された。そういうことなのですね。私たちはだれも念仏を申しているわけです。そこを一歩進んで本当に私が救われたというか、大いなるものにいのち(・・・)を預って本当に護られていて救われて良かった。そういう念仏に転換していきたい。そういうことを思うわけです。道徳にぴたっとした教えだったのです。そこでこれに付随した和讃があります。聖人のこのことを詠った和讃というのは大経和讃にこういう和讃があります。

 

二.和讃

定散自力の称名は
    果遂のちかいに帰してこそ
    おしえざれども自然に
    真如の門に転入する

 (十八願)

『真宗聖典』『浄土和讃』 四八四頁 (一六)

 

それは定散自力の称名は、つまり定善、散善と言いますか自分の力で考え、そして自分で聞法、勤行、念仏という自分で努力して自分で念仏を称える。定散自力の称名は果遂のちかいに帰してこそ、とはどういうことかと言うと、果たし遂げねばおかないという願い、弥陀の誓い、果たし遂げねばおかないという果遂の誓いによりて、それに帰依する。おしえざるに自然に、こうしなさい、ああしなさいと教える。いちいち細かく教えなくても自然に真如の門に転入するという『和讃』がある。つまり聞法し勤行し念仏してそして頑張ってきたものは、そして念仏している。称名は称名念仏しているものは、果遂の誓いというのが二十願にあるのですけれども、果たし遂げねばおかないという弥陀の誓いによりてこそ教えざるに自然にいつの間にか真如の門、これが十八願、本当の念仏の所に転じ入る。転入するという『和讃』があるのです。問題はここに果遂の誓いとは何かということです。

果遂の誓いとは、果たし遂げねばおかない、本当の念仏に転入し救われるというか、よかったというか、そういう念仏にさせずにはおかないというのが弥陀の誓いなのです。だから私たちは砂を噛むような日の念仏であっても必ず月に一回はお寺にお参りをして家では朝晩勤行してそして頑張っていくことが大切なのです。その果遂の誓い、果たし遂げねばおかないという誓いはどういうことによって果たし遂げられるか、というと本罪を知るということによって果たし遂げられるのです。本罪を知る。根本の罪。私たちが持って生まれた根本の罪があるのですね。その根本の罪それを私たちが自覚をする。それを知ることによって、そこを出ることが出来るという弥陀の誓いなのです。根本の罪を自覚する。こういうことを『大無量寿経』というお経の中にその果遂の誓いをどうして超えていったかということが書いてあるところがあるわけです。それはこういう話があるわけです。

転輪聖王という王様がいました。その転輪聖王という人に王子がいました。この王子が父親の転輪聖王に背いた。そこでその王子はどうされたかというと七宝の宮殿に入れられた。七宝とは七つの宝、金銀、瑠璃、赤珠、瑪瑙というつまり王様の王宮ですから、その王様の王宮の一室に入れられて金鎖をもってされた。つまり金の鎖で転輪聖王の王子は繋がれた。王様に反逆されたからね。そうしてそこでは飲食、食べ物ですね、衣服、着ている着物、床褥、寝床ですね。そして音楽、妓楽というものを供給されて暮らした。その暮らしは、その王子の暮らしは転輪聖王の暮らしと異ならなかった。それなら転輪聖王と異ならなかった王子はそこにじっと留まっていたいと思うか。ところが王子は金の鎖で繋がれている。だから不自由なわけですね。この王子は何とかそこを出たいと思う。そこで転輪聖王の王子はどうして出たいと思うか、そのところにこの喩えが出ている。つまり果遂の誓いの誓いがどうして本罪を知るということで超えられたかというその喩えが『大無量寿経』にでている。今度はどのように書いてあるかというと、結局、定散自力の称名とはどういうことかというと仏智疑惑というか本当に仏様は私を救ってくれるのだろうか、そこが非常に怪しいわけですね。自分で怪しいと思っている。そこで定散自力の称名とは仏智疑惑の称名の人、その人も全く同じなのである。転輪聖王の王子と同じなのだと。どういうふうに書いてあるかというと、つまり私たち、もしこの衆生、その本の罪を識りて深く自ら悔責する。本罪を知りて深く自ら悔責する。

 

深く自らを悔責する(懺悔)

 

悔い責めると書いてあります。自分自身を自ら深く悔責する。懺悔するということです。申し訳ありませんという自分を見る。深く自らを悔責する。本当に申し訳なかった。懺悔する。その時に深く自らを悔責して、そのかの処、王子の自分の居場所、王子と定散自力の称名の人は同じです。深く自ら悔責することによってその本罪を知って、深く自ら悔責することによってそこを出た。かの処を離れんと求めば、すなわち意のごとくなることを得て、つまり離れることが出来たのだと。深く自ら悔責することによって、七宝の牢から離れることが出来たのだと書いてあるのです。私たちもそれは同じなのだと。ところで問題は本罪とは何か。

 

    本罪とは   五逆 誹謗正法

一.父を殺し 二.母を殺し 三.師を殺し

四.和合僧を破り   五.仏身より血を出す

    (恩知らず)

 

本罪とは何か。それは五逆、誹謗正法と言われるものです。自分自身が五逆の身である。誹謗正法の身であるということを本当に自覚することによって、そこを離れることが出来る。五逆とは何か。五逆とは父を殺し、母を殺し、阿羅漢を殺し、師を殺しにしましょうか。そして和合僧を破り、仏身より血を出す。これは自分の父親を殺し母親を殺す。父親を殺し母親を殺すということは無視するということです。その意見に従わない。父母がいなければこの世に自分が存在しないにもかかわらず、私には私の考えがあると言って父親や母親の考えを無視して出ていく。それはだれの事か。師を殺し、先生がいなければ自分は存在しない。自分は考えることが出来ない。そこに立つことが出来ないにもかかわらず先生に背き、和合僧を破り、こういう和合僧、皆が仲良く和合してサンガを持って一緒に聞法会を開いているそこを破り、背いて、なんだこのサンガはというようになってそこから出ていく。そして非難する。そして仏身より血を流す。仏様に刃向っていく。そういうつまり一言で言えば恩知らずということなのです。御恩になったものに反逆するということです。恩知らずということです。その恩知らずというのは誰の事か。それが私のことになるということが本罪を知るということなのです。全く恩知らずは自分自身の事でありましたという。それがそこを出ていくという。そうして誹謗正法とは仏法を謗るということ。仏法というのは今の世の中では通用しないのではないか。お念仏なんか称えても金がもうからないではないか。こういうわけでその仏法を謗って本当にお寺なんかに参る暇があったらカラオケにでも行って歌った方がいいのではないかと。私はカラオケが好きではないので今のは私には合いませんが。他のことがいいのではないかと。忙しいので庭の草でも取った方がいいのではないかとなって、結局そういう聞法会をさぼってもっと美味いものを食ったり、と言うようになっていくのです。そういうのを誹謗正法。それは誰の事か。それが私自身のことであると知る。知って申し訳ありません。南無阿弥陀仏、となるところに、そこを超えるという所があるのですね。私たちもそれを本当に知るということが、そういう自覚が大事なのです。そこで一歩進むということですね。そこでですね、ではお前はどうか。

 

三. 私に於いて本罪を知るとは

  母 九六歳没

@   独りでもさびしくない

A   四人の子が念仏するようになって嬉しい

 

 私において本罪を知る。私はそこのところをずっと考えていたのです。なかなかそれがいい考えが出てこない。変な話ですが私自身はなかなかそのことが自分でぴったりとしてこない。そこで私は私の話をしたい。私の母親が言ったのですね。私はこの母親を何というのか自分の身内のことを言うのは変なのですが、ひどく尊敬したのです。この人は九六歳で亡くなったのです。もう死んで十年位になるのです。九六歳で亡くなったのです。その母が言っていたこと、その母は独りで暮らしていたのですが、四人の子供を育てたのですがどういうふうに言ったかと言うと、独り暮らし、独りでもさびしくないといったのです。子供は四人みんな出て行って自分は私たちが生まれた家に九十何歳まで独りで暮らしていた。独りでいてもさびしくない。身体はいかにもきつそうなのにそう言っていたのですね。独り暮らしでもさびしくないと言った。それからもう一つは 四人の子が念仏するようになって嬉しいと言った。こういうふうに言っていたのです。私はもう独りでもさびしくないというものですから、しかし母の思いはどういうことであったのでしょうかと思うのです。私たち子供が四人いました。それぞれが独立して出て行った。私が長男です。今妹も来ている。皆、出て行ってしまった。その時に独りでもさびしくない。母の気持ちはなんだったのだろうかと今頃になって思うのです。それは亡くなってからですよ。どういうふうに思うかというと結局四人の子供はそれぞれ自分のやるべき仕事があって忙しい。だから自分はそれに迷惑をかけてはいけない。だから子供に迷惑をかけてはいけない。だから自分は自分のそういう宿業に甘んじる、甘んじるというか随順して、そして生きていかなくてはいけないと母は思っていたのだと思うのです。それを私たちはいいことにして仏法を聞く人はさすがだなあと、独りでもさびしくない、世話がやけんで良かったと言うふうに思ったのですよ。私は。これは本当にこういうのが親不孝といわないで何というのか。今更に申し訳なかったなあと、思うのです。そうして次にもう一つは四人の子供が皆、聞法し勤行し念仏するという生活をしているのです。私の兄弟は。それは嬉しい。何故嬉しいと言ったのだと思います。この人は嬉しいと言ったのです。そうなったのは。それは結局今から考えてみると自分がお念仏一つで救われたのですよね。お念仏でなければ生きていけなかったのです。それで本当によく念仏をしていた。自分と同じ道に立つことが出来た。それで嬉しいというように言ったのだと思うのです。今になって思えば。昨日考えたのですけれど。今になって嬉しいと言ったのはそういう意味だったのだと。自分も救われた。念仏でね。もしお念仏がなかったならば元気で九六歳まで生き切ることが出来なかった。その同じ道に子供が立ってくれた。本当に嬉しいのだと言ったのだと思うのです。それで私たちもこの母の生き方を見てありがとうございます。良く生きてくださった。ありがとうございます。南無阿弥陀仏と念仏をする。独りでもさびしくないと聞いたら申し訳なかったなあ。申し訳ありません。南無阿弥陀仏。私にも二人子供がいるのですね。その二人の子供が念仏するようになって嬉しいと言えるかどうかという問題なのです。その糸口には確かに立っているのです。本当に今八五歳ですけれども九六歳まで生きたいと思っておりますが、これは分かりませんが、毎回毎回これが最後だと。今日もこれが最後だと思ってきているのですが、やっとここで立っているのですから本当に。だから本当に分からないのですけれど本当に二人の子供が念仏するようになって嬉しいと言える人になりたい。頑張らなくちゃ、南無阿弥陀仏とこういうふうになるのではないかなあと。こういうふうに思うのです。そこで念仏には大体三つの功徳があります。それはどういう功徳かと言えば、一つは申し訳ありません南無阿弥陀仏。もう一つはありがとうございます南無阿弥陀仏。もう一つは頑張らなくては南無阿弥陀仏と。そういうふうに念仏とは三つの功徳をもっているのです。だから蓮如上人は何と言われたか。道徳はいくつになるか。道徳念仏申すべきである。申さるべし。道徳念仏申すべきであると。こういうふうに言われたのです。それが自力の念仏であっても他力の念仏であっても、必ずそれは果遂の誓いがあるから転換していくのですよね。どうか念仏申さるべし。どうか念仏申すべきである。これが蓮如上人七九歳の年の言葉なのです。昔ですのでずいぶん長生きなのです。この蓮如上人はちなみに八五歳まで生きられた。私が丁度八五歳。今蓮如上人の所までとてもいきませんが、本当に道徳はいくつになるぞ、道徳念仏申さるべし。道徳念仏申すべきであるというのは蓮如上人の非常に暖かい道徳に対する愛情の表現です。それと同じように私の母なんかも独りでもさびしくない。四人の子供が念仏するようになって嬉しいというこれも深い私たちに対する愛情だったのだなあと今本当に思うことであります。以上で終わります。

あとがき

 本冊子は平成二十七年六月二十一日、第十六回護持会総会における佐々木玄吾先生のご法話の記録です。

「道徳はいくつになるぞ 道徳、念仏もうさるべし」というテーマでお話を頂戴しました。今回も『蓮如上人御一代記聞書』のお言葉をテーマにお話いただきました。

先生は本書にて、『年老いた道徳に向かって蓮如上人が自力の念仏を脱して他力の念仏、自力の念仏と他力の念仏があるのだけれど自力の念仏から他力の念仏に進んでいかないといけないのだ。とこういうふうに言われたのです。私たちはだれも念仏を申しているわけです。そこを一歩進んで本当に私が救われたというか、大いなるものにいのちを預って本当に護られていて救われて良かった。そういう念仏に転換していきたい。』とお話されました。

私達は念仏申そうという教えだから念仏を申しています。しかし、その念仏を自分のものにしてしまい、自分を肯定する手段としてしまっていることを聴聞しながら気づかされます。他力の念仏になっていない我が身を見通して、蓮如上人より発せられた如来の声として、念仏もうさるべし、と頂いていきたいと感じました。

 先生にはご多忙の中、原稿に目を通して頂き、この場をお借りしまして厚く御礼申し上げます。

 又、ご法話のテープを原稿に起こして下さいました、護持会役員の淡海雅子様、校正を手伝ってくれた池津徳彦氏には多大な感謝を申し上げます。合掌

平成二十八年六月十九日
    第十七回護持会総会にあたり   光照寺副住職 池田孝三郎