第17回  護持会総会法話 16.6.19 講師;佐々木玄吾先生(いずみ会館館主)
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(資料)

『蓮如上人御一代記聞書』(『真宗聖典』八七七頁)

第一二二条

一.一宗の繁昌(はんじょう)と申すは、人の多くあつまり、威の大なる事にてはなく候う。一人なりとも、人の、信を取るが、一宗の繁昌(はんじょう)に候う。しかれば、「専修(せんじゅ)正行(しょうぎょう)繁昌(はんじょう)は、(ゆい)(てい)念力(ねんりき)より(じょう)ず」(式文)と、あそばされおかれ候う。

 

(板書)

一.一宗の繁昌   

御文三帖目六通 ― 対応

 唯能常称如来号

 応報大悲弘誓恩

 一宗の繁昌

 サンガ ・・・統理大衆 一切無碍

 

二.一宗の衰微

     1、長期の展望がない

     2、人の和が失われる

     3、次なる人の養成を怠る

      「若木の前に頭を下げよ」

 

三.専修正行の繁昌は遺弟の念力より成ず

   遺弟(のこされた弟子) 釈尊 聖人

   弟子 後学の故に(てい)という

      養育の故に()という

  細川先生(七四歳から七六歳)と私(六三歳から六五歳)

     1、シルクロードの話 いのちをかけた人が伝えた

     2、「これは決して逆ではない」

     3、ご恩に報いたい

 

おはようございます。只今紹介に預かりました佐々木玄吾と申します。私も若い時がありましたがいつの間にか八十六歳になって、もうここにいらっしゃる方の中で最高齢ではないかと思います。本当に弱い弱いといって母が育てたのですが、本当に用心して用心して自分のことを一番大事にして過ごしましたので、とうとう八十六歳まで生きさせてもらいました。本当に今日は立派に整えられたこの場所でお話しさせていただけることを非常に喜んでおります。いつも『蓮如上人御一代記聞書』を頂いております。今日はその一二二条です。私も目が悪くなりましたので眼鏡をかけないと字が見えなくなりましたのでメガネをかけて。それでは皆さんご一緒に一二二条を読んでいただきたいと思います。では一緒に。

 

一.一宗の繁昌(はんじょう)と申すは、人の多くあつまり、威の大なる事にてはなく候う。一人なりとも、人の、信を取るが、一宗の繁昌(はんじょう)に候う。しかれば、「専修(せんじゅ)正行(しょうぎょう)繁昌(はんじょう)は、(ゆい)(てい)念力(ねんりき)より(じょう)ず」(式文)と、あそばされおかれ候う。         『蓮如上人御一代記聞書』(『真宗聖典』八七七頁)第一二二条

 

蓮如上人というのは本願寺の八代目の方です。真宗中興の祖と言われたのです。その時に式文とは、報恩講式といい報恩講の時に使う言葉です。それは覚如上人、三代の覚如上人が言われた。どういうふうに言われたかというと「「専修(せんじゅ)正行(しょうぎょう)繁昌(はんじょう)は、(ゆい)(てい)念力(ねんりき)より(じょう)ず」と、あそばされおかれ候う。」と言われたということです。どういう意味かといいますと、一宗の繁昌というのは、寺や教団に人が多勢あつまり、威勢のよいことではない。ひとりなりとも、人が信を獲ることが本当の繁昌です。それゆえに『報恩講式』で覚如上人は「信心決定して念仏申す本願の教えの繁昌は、先師の教えをうけついだ弟子たちの念願の力で成就する」と書かれたのです。そういうのが文章の意味なのですね。そこで

 

一.     一宗の繁昌 

 

 それはどういうことかということですね。香月院深励師という人がおられます。その方に『蓮如上人御一代記聞書』を解説した講義があるのです。その中に言っているのです。これは御文の三帖目六通と対応している。

 

御文三条目六通 ― 対応

 

六通という御文があるのですね。それとこの文章が対応しているといって講義の中に書いてある。それはどういうことかというと、こういうふうに書いてあるのです。

それは吉崎御坊がありますね。福井県に吉崎御坊がありますね。蓮如上人が北陸に流されて北陸に行かれてそこで吉崎御坊を建てられた。その時のご法事の時、おそらく報恩講の時と思われる。吉崎御坊の時にその報恩講に参詣する人がたくさんあった。北陸だからですね。そこに加賀、能登、越中、越前、そういう所からたくさんのお参りがあったのですね。大変な人数でそこで法敬坊というお弟子さんが「ことのほかのご繁昌」、大変なご繁昌ですね、とこう蓮如上人におっしゃったら蓮如上人はおおせられた。「人の多く参りたるが繁昌ではないのだ。仏法の弘まるのが繁昌だ」と申された。それから上人は「南無阿弥陀仏と申すは」という三帖目六通のこの御文を書いて渡された。とこういうふうになっている。

そういうわけで、したがって、この条はですね、参詣者の少ない威勢の悪い中で申されたのではなくて、たくさんたくさんの大衆の集まった、その中で言われた。これは大変大事なことなのですね。非常に少ししか人数がないので、たった三人しかいないのだけれど一宗の繁昌は一人ひとりが大事なのだ、といって力むのではなくて、大勢あふれるように人がおられたその中で言われたのです。これは大変大事なことなのではないかと。人は人数の大小、建物あるいは、そういう周りを見て繁昌だというけれど、そうではないのだ。本当の繁昌というのはそういうことではないのだ。

だからですね、このお浄土に根源を持ち南無阿弥陀仏を根本としてそうしてですね、それによって立っていく人はですね、外形は本当に微々たるものであってもですね、非常に三国七祖、三世十方の諸仏方の護念証誠というものを蒙って、そうして大満足の中で生きさせてもらうことができる。というこういうことなのです。だからこの言葉、この条はですね、このように言われている。「千古の名言」まったく変わらない名言であると。これから何時までたっても変わらない、つまり蓮如上人の時代においてもその昔からもこれからずっと先、現在においてもさらに未来においても、この言葉は「千古の名言」として残るであろうと、こういうふうになっている。そこで三帖目六通の御文はどういうふうになっているかというと、南無阿弥陀仏のことが説いてあるのです。

「『南無(なむ)というは願なり。阿弥陀仏(あみだぶつ)というは(ぎょう)なり。」(『御文』(『真宗聖典』八〇二頁)といって、六字釈の心が述べてある。そうしてですね、南無阿弥陀仏のいわれを聞き開く事が大事だということが勧められている。最後にこういうふうに書いてある。

南無(なむ)阿弥陀仏(あみだぶつ)回向(えこう)の (おん)(どく)広大不思議にて 往相回向(えこう)利益(りやく)には 還相(げんそう)回向(えこう)回入(えにゅう)せり」そういう『和讃』があって、そしてすべて南無阿弥陀仏というものをいただいて私たちが自利利他ができるのだと、そういうことが書いてある。そうしてさらに結びに、三帖目六通の結びにどういうふうに書いてあるかというと「唯能常称(ゆいのうじょうしょう)如来号(にょらいごう) 応報(おうほう)大悲(だいひ)()(ぜい)(おん)」そういうふうに書いてある。

 

御文三帖目六通 ― 対応

  唯能常称如来号

   応報大悲弘誓恩

 

唯能常称(ゆいのうじょうしょう)如来号(にょらいごう) 応報(おうほう)大悲(だいひ)()(ぜい)(おん)」唯よく常に如来の御名を称し大悲弘誓の恩に報うべしと。そういうふうに結びのほうに書いてあるのですね。だから私たちはお念仏を申すということが一番大事なのだと。そういう人が誕生するということが、一宗の繁昌だということです。そこで一宗の繁昌ですけれども、その一宗ということは何かということです。

 

一宗の繁昌

 

一宗とは何かというと、浄土の一宗、浄土真宗のことを指しているのです。それは「専修正行の繁昌」ということです。浄土真宗とは専修正行。専修正行の繁昌。では浄土真宗の繁昌とはなにか。親鸞聖人は浄土真宗をどういうふうに言われるかというと「念仏成仏これ真宗」と言われた。あるいは「選択本願は浄土真宗なり」と言われた。つまり浄土真宗とは建物とかそういうものではないのだ。教団ということでもない。如来の選択本願をいただいて、そうして往生成仏していくのが浄土真宗なのです。だから『教行信証』の一番初めには「(つつし)んで浄土真宗を案ずるに、二種の回向(えこう)あり。一つには往相(おうそう)、二つには還相(げんそう)なり。」浄土真宗とは回向の宗教である。「往相の回向について、真実の教行信証あり。」本当に一人一人が如来の本願をいただいて教行信証が自分自身の中に成立していく。一人一人の中に教行信証が成立していく、そういうのが浄土真宗なのです。その一人の人本当に一人一人がそれぞれが浄土真宗を自分の中に聞き開いて、本願というものが成り立って、それがどういうことかというと信心決定して念仏申す人と成って、初めて一宗の繁昌になるのですね。だから、そういう信心決定して念仏申す人の集まりをサンガという。一人一人が成立してサンガが出来る。そういうサンガの特徴はどういうことかというと、統理大衆 一切無碍というだから、「自ら僧に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、大衆を統理して、一切無碍ならん。」(三帰依文)サンガということは統理大衆 一切無碍ということなのです。サンガというのは「統理大衆 一切無碍」。

 

サンガ ・・・統理大衆 一切無碍

 

そういう念仏を申す人の集まりをサンガという。そのサンガというものは「統理大衆 一切無碍。」それがわれわれの集いでなければならない。それはどういうことか。それは「統理大衆」というのは同一の船に乗って、同じ船に乗ってお浄土に向かって行く。そういうものでなければならない。そして「一切無碍」というのはここにおられるように、男とか女とか若いとか年寄りとか賢いとか賢くないとか良いとか悪いとか、そういう人達が皆集まって、それが一つも差し障りがない。職業や学歴、求道の年限、私が八十六歳だといって威張っているようなことではなくて、若い人も小さい人も皆同じ一切問題にならないというのが「一切無碍」。それで一宗の繁昌とは一人が真に聞き、真に頂いて、ついにこのようなサンガが次々と広まることが一宗の繁昌である。ここにそういうサンガができた。次にもサンガができた。広まっていく。そういうのが一宗の繁昌なのだと、そういうふうに言われたのです。そこで一宗の繁昌に対して。

 

二.     一宗の衰微

 

一宗の衰微。浄土真宗が衰えるということはどういうことか。次に繁昌の反対側を考えてみよう。それはどういうことかというと、一般に大企業などが衰微し、ついに破産にいたる場合、その原因として三つのことがあげられている。それは衰微することに三つの原因がある。一つは目先のことに追われて長期の展望を持たなかった。長い見通しを持たなかった。長期の展望がない。長く見ないで、目先のことしか見ないので、大企業は衰微していく。二番目に人の和が失われる。つまり特にトップの管理者の間で内紛が絶えなかった。そういうところで衰微していく。そして三つ目は次なる人の養成を怠った。つまり後継者の育成ということに失敗をした。そういうところが衰微する。これは宗教教団でも言える。

 

     1、長期の展望がない

    2、人の和が失われる

    3、次なる人の養成を怠る

      「若木の前に頭を下げよ」

 

まず長期の展望とは何か。サンガの根本と言うのは三宝に帰依するということである。このために教学の研修を怠らず、信の樹立と信力増上を中心に考えてゆくこと。僧伽の問題は、古い人の進展と新しい人の獲得にある。それにはなによりも自分自身が勉強すること、これが根本である。そこで目先のことにとらわれず、広い視野で見て、長い未来を見とおす智慧がうまれてくる。自分自身が勉強をすることがまずはじめ。

次に、人の和とは何か。それはいよいよ自分が教えを頂き、?慢の頂から降りて、愚者悪人に徹する、これが根本である。

次に、次の時代の人材の育成をするとはどういうことか。それは「若木の前に頭を下げよ」、これが大事だ。若い人の前に頭を下げる。

以上の三つが私においておろそかになり不精進であるところに一宗の衰微が起こる。一宗の衰微というのも一人の衰微から始まる。省みてわれらの現在の歩み、この光照寺のサンガの歩みは繁昌の方向にあるのかそれとも衰微の方向にあるのか、それは私自身が一番深く考えなくてはならない問題である。そして私以外にそのことを考えてくれる人が一人でも多く出てくれれば、一宗の衰微はほとんど起こり得ないであろう。そのように言うことが出来るのです。そこで次に、

 

三.     専修正行の繁昌は遺弟の念力より成ず

 

専修正行の繁昌は遺弟の念力より成ず。これは覚如上人が言われたのですが、専修正行の繁昌は遺弟ですよね。遺弟とは何かというと残された弟子のことです。それでは弟子とは一体何か。それは残された弟子とは私たちは釈尊の弟子である。七高僧の弟子である。親鸞聖人の弟子である。また現在の色々な先生の弟子である。そういう善知識の弟子である。それはのこされた弟子。先師に対して遺弟なのですね。

 

遺弟(残された弟子) 釈尊 聖人

弟子 後学の故に(てい)という

      養育の故に()という

弟子とは何か。弟子とはこういうふうに言われているのです。「後学の故に(てい)という 養育の故に()という」こういう言葉があるのですね。先生から見たら私に対しては、後からあなたは勉強してくるのだから弟であると言われる。ところが自分から、弟子の方から先生を見たら「いいえ、先生私は弟なんかではありません。それは先生と言うものなければ私と言うものはありません。先生は親であります。私は子であります。」こううふうなのが先生と弟子の関係なのです。先生がなかったならば私とうものは絶対にありえない。だから子である。だから「後学の故に弟といい 養育の故に子という」それを合わせて弟子という。弟子とはそういう関係なのです。遺弟、まず釈尊の弟子。あるいは聖人の弟子。そういうものなのです。しかし、そういう人がおられても、また私自身の先生とうものがないと。

聖人ですよね、私たちはそういう方々の弟子なのだ。しかし先生というものが具体的にいないと、中々教えというものが、自分に本当にそうだったと頂けないのです。そこで、私は思うのですよね。それはどういうことかというと、私にとっては細川先生という人がおられるのですね。先生と私の関係というものをここで言いたいと思うのです。

 

細川先生(七四歳から七六歳)と私(六三歳から六五歳)

     1.シルクロードの話 いのちをかけた人が伝えた

     2.これは決して逆ではない

     3.ご恩に報いたい

 

晩年の先生が何歳かと言うと、細川先生は私と非常に関係が深かったのは、先生の七十四歳から七十六歳。この三年間私は、先生と密接な関係があった。その時に、先生が七十四から七十六という時に私は、先生と丁度十一歳違うのですね。そうすると六十三歳から六十五歳だったのですね。丁度私が学校を辞めて、豊平道場へ行っていた期間なのですね。これは。先生が七十四歳から七十六歳。七十六歳で亡くなられて。もう二十年前に亡くなられたのです。

これから三つのことを話そうと思っています。それはどういうことかというと、先生はシルクロードの旅に出られたのですね。遥かなるシルクロード。先生が団長で私が総務だったのですね。その時に二十名ほど一緒になって行ったのですけれど、中国のシルクロードのずっと奥地なのですね。カシュガルと言うところがあるのですね。ウルムチから飛行機で飛んでカシュガル。カシュガルからウルムチに帰ってくるシルクロード、そういう路を行ったのです。その時に私が総務だったからこういう文集を作ったのです。文集が残っているので夕べ読んでみたのです。そうしたらこういう風に書いてあったのです。先生が言われたのです。

「インドに起こった仏教が極東の日本にまで伝来される道行きの中でもっとも困難な過程は、このシルクロードと呼ばれる西域の地で繰り広げられたものではなかろうか。天山南路に沿った1500キロに亘るタクラマカン砂漠を東に進むこの道中で荒涼とした灼熱の大砂漠の中を次々といくつかのオアシスの国々を潤しながら仏教を伝えてきた人々を思い、そのご苦労の歴史を思った。その中を流れ貫くものは如来の本願である。如来本願の具体的なあらわれが仏教の東漸であることを今回の旅で知らされた。この今何一つ残っていない仏教伽藍の跡に立って西域の先人たちの御辛苦が遂に仏教を日本にまで伝え法然上人・親鸞聖人を生み出し、そして今日我々が本願の教えを頂戴できる源泉となったことを感謝の他はなかった。我々はここに、我等もまたこの一道を今の人たちに伝え後の世に残さねばならない。重い使命をひしひしと感じたことである。」

シルクロードの旅に出られた。私はその時に一緒に出たのですね。シルクロードの旅。シルクロードの旅で、そのタクラマカン砂漠を行って、帰ってきてその路で仏教遺跡が次々と発見された。それはただ単に仏教が伝わったのではない。命をかけた人がそこにいたのだ。そういうことを言っていなさる。それが一つ。

もう一つはどういうことかというと、今度はですね、こういうことです。それは先生が七十四歳の時ですね、豊平道場を建設されたのです。先生は建設委員長だった。私は道場主で、妻と二人で六十三歳の時からそこに行ったのです。それは私たちの光明団創立七十五周年記念事業として建設されたのです。その挨拶の中でこのように言っておられます。それも私が編集したから残っているのですけれど。『回向の宗教』というのが残っているのです。どういうふうなことを言っておられるかと言うと、「このような道場がどういう目的で使われるか、一般的に申して色々な団体、特に求道の団体におきまして大事なことは、一つにはこの道を歩いております者がさらに一段一段と進展していくこと。二つには新しい若い人たちが次々と誕生して、そういう次なる人たちが生まれてくることであります。この二つがどの団体にとりましても大事な問題であります。」

「古い人と新しい人がある。二つが大事であります。その二つの中でどれがより大事か根本かということになれば、それは第一の古いものが、一歩一歩もう一つ深く進展していくということ、これが一番根本であって、そのことがやがて次なる人を生み新しい人たちを誕生させる、ということに繋がってくるわけである。これは決して逆ではない。その一点を見誤ることなしに進むことが、この道場の一番大事なことであると私は思っておるところであります。」

古い人と新しい人が大事なのだ。新しい人がどんどん入ってくるということが大事なのだ。古い人が進展するということが大事なのだ。どっちが大事か。それは古い人の進展、これは決して逆ではない。私はこの言葉に本当に心を打たれる。これは決して逆ではない。古い人の進展が大事なのだと。そういうふうに古い人の進展に非常に力を入れられた。私たちここに集まっている者は言ってみれば古い人たちです。ここの古い人たちが本当に進展するということが、光照寺の一番大事な問題なのです。もちろん新しい人が入ってくるということは非常に大事なことなのだが、ここにいるこの護持会の役員の人達が進展することが一番大事なのだ。本当に信心決定して念仏申すことが一番大事なのだと、そういうふうに言っておられますね。

そして三つ目。どういうことかといいますと、私たちは光明誌という月刊誌をとっています。細川先生は教師会長で毎月光明誌に執筆しておられた。私はその時に編集長だった。だから光明誌をいつも編集していた。だから先生から原稿が来るのを非常に楽しみにしていた。その時にですね先生はたくさんたくさんの文章を書かれたのです。その時に細川先生は九州の厳松会館というところに住んでおられたのです。そこで長女の堤泰子さんという人がおられるのです。その人が私にこう言いました。「父は『専修正行の繁昌は遺弟の念力より成ず』という夜晃先生の書かれた掛軸を書斎の机の前に掲げて光明の原稿を書いていました。」と私に言われたのです。私はその時にドキッとして、胸を打たれたのです。いつもこの言葉を念じて生き続けておられたのだなあ。本当に親鸞聖人の御恩、釈尊の御恩、自分の先生の御恩、そういうものに何としても報いたいという気持ちが最後の最後まで生き続けてですね。頑張っておられたのだなあ。ということを感じたのです。それで私の先生が亡くなられて二十年過ぎて、先生は七十六歳で亡くなられて私はとうとうそれよりも十年長く生きて八十六歳になったのです。本当に先生の遺弟として、恥ずかしくない生き方をしなければならないと思ってます。張り切って頑張って行こうとこういうふうに思うのですから、皆さんもどうか衰えたとか、もう若い人が聞いてくれないとか、なんでこの世の中が落ち込んできたか、とかそういうような情けないことを言わないで、本当にその人たちに向かってこの仏法というものがあるのだ。心配はいらない、と言って立ち上がっていって欲しい。そのように思うのであります。終わります。南無阿弥陀仏。

 

あとがき

 

 本冊子は平成二十八年六月十九日、第十七回護持会総会における佐々木玄吾先生のご法話の記録です。

「一宗の繁昌」というテーマでお話を頂戴しました。今回も『蓮如上人御一代記聞書』のお言葉をテーマにお話いただきました。

先生は本書にて、『本当に一人一人が浄土真宗を自分の中に聞き開いて、本願というものが成り立って、信心決定して念仏申す人と成って、初めて一宗の繁昌になるのですね。』とお話されました。

浄土真宗のみ教えを大切にしている宗教団体があり、真宗大谷派という教団があって、私達がご縁を頂くのは間違いないのですが、私達はそのご縁だけで教えを頂いたつもりになるのではなく、自分が教えに出遇うことがなかったら宗祖も嘆くことでしょう。どのような時代、環境、境遇に遭っても、「本当にいのちが成就」するみ教えを私達が聞き開いていくところに、本願念仏のみ教えを伝えていけると思っています。「一宗の繁昌」は誰かが頑張ってということではなく、一人一人の問題にかかっていることを切実に感じます。そのことを共有できましたら有難いことです。

 先生にはご多忙の中、原稿に目を通して頂き、この場をお借りしまして厚く御礼申し上げます。

 又、ご法話のテープを原稿に起こして下さいました、護持会役員の淡海雅子様には多大な感謝を申し上げます。

合掌

 平成二十九年六月十日 第十八回護持会総会にあたり 光照寺副住職 池田孝三郎