第20回 護持会総会法話 19.6.30 講師;佐々木玄吾先生(いずみ会館館主)
(資料)
『蓮如上人御一代記聞書』(『真宗聖典』八六四頁)
第四五条
一 あかおの道宗、もうされそうろう。「一日のたしなみには、あさつとめにかかさじと、たしなめ。一月のたしなみには、ちかきところ、御開山様の御座候うところへまいるべしと、たしなむべし。一年のたしなみには、御本寺へまいるべしと、たしなむべし」と云々 これを円如様きこしめしおよばれ、「よくもうしたる」と、おおせられそうろう。
(板書)
赤尾の道宗 ― 弥七郎 ― 武士
嗜め ― 心がける 用心する
一.一日の嗜み
善導大師 一日に六回
勤行のこころ
1.自分のため ・・・ご恩徳 懺悔 感謝
2.他の人のため・・・仏法が届くように
二.一月の嗜み 聞法会に出る
三.一年の嗜み
御本寺 ― 本山
菩薩往覲偈(東方偈)
「己が国も異なることなけん」
四.円如 32才―お文の編纂
道宗は言行一致の人
○私のこと
「君の家庭が成就することが何事よりは大事である」
おはようございます。去年まではここに前住職の池田先生が座っておられてその前で話をさせてもらったのですが、今回は御遺影の前で話をさせて頂くことになり、私が十二歳年上なのにこうやってながらえているという不思議な御因縁を頂きました。
それではお手元に資料がありますので読んでみましょう。毎回『蓮如聖人御一代記聞書』を読んでいますが、今年は第四十五条です。ご一緒に読ませて頂きます。
一 あかおの道宗、もうされそうろう。「一日のたしなみには、あさつとめにかかさじと、たしなめ。一月のたしなみには、ちかきところ、御開山様の御座候うところへまいるべしと、たしなむべし。一年のたしなみには、御本寺へまいるべしと、たしなむべし」と云々 これを円如様きこしめしおよばれ、「よくもうしたる」と、おおせられそうろう。
(『蓮如聖人御一代記聞書』:真宗聖典 八六四頁)
赤尾の道宗という人は伝記がはっきりしないのです。私は細川先生の講義に基づいているのですが、この人は赤尾弥七郎と言って富山県越中の出身で武士であったと言います。
赤尾の道宗 ― 弥七郎 ― 武士
蓮如上人のお傍に仕えていた弟子で、「蓮如上人御一生記」という本の中には文明七年(一四七五年)九月に蓮如上人はその時六十一歳ですけれど、その上人が越前朝倉氏の攻撃を受けて吉崎の本願寺を退去させられることになったのです。本願寺が非常に勢力を持って一向一揆ということがあって領主の朝倉氏の攻撃を受けたのです。退去されるその時にこのように書いてあるそうです。
「この度はにわかに吉崎をご退去あるべき支度にて赤尾弥七郎、大谷一右衛、慶門坊、ただ三人を召し具し」とあるとのことである。とにかく若い人三人と一緒に六十一歳の蓮如上人は吉崎を退去された。そのように蓮如上人のお傍に付従っていた人であった。現在は富山県の東砺波郡の上平町にある(現在の住所南砺市西赤尾町)大谷派行徳寺がその遺跡と言われています。私たち光照寺でも旅行で行徳寺にお参りをしました。そして本堂の所にある割木の上で道宗が弥陀のご恩を忘れてはならないと言って寝ている姿の像を見せてもらいました。その時に蓮如上人は仏弟子として守るべき実践を嗜む心として表しているのです。
嗜め ― 心がける 用心する
嗜めとはどういう事かというと、心がける、用心するという事です。蓮如上人が非常に沢山このことを言っているのです。たとえば、
「行くさきむかいばかりみて、足もとをみねば、踏みかぶるべきなり。」前ばかり見て自分の足元を見ないとつまずいて転ぶ。「人の上ばかりにて、わがみのうえのことをたしなまずは、一大事たるべき」と、仰せられ候う。百九十一条にそのようにある。
一九一条 一 「行くさきむかいばかりみて、足もとをみねば、踏みかぶるべきなり。人の上ばかりにて、わがみのうえのことをたしなまずは、一大事たるべき」と、仰せられ候う。
(『蓮如聖人御一代記聞書』:真宗聖典 八八九頁)
また「人は、そらごと申さじと、嗜むを、随分とこそ思え」嘘を言わないと心がけることは随分なことだと。「ありのままでありたい、うらおもてがないようにしたい、と嗜む人は、さのみ多くはなき者なり。また、よき事はならぬまでも、世間・仏法、ともに心にかけ、嗜みたき事なりと」
二五〇条 一 人は、そらごと申さじと、嗜むを、随分とこそ思え、心に偽りあらじと、嗜む人は、さのみ多くはなき者なり。また、よき事はならぬまでも、世間・仏法、ともに心にかけ、嗜みたき事なりと云々
(『蓮如聖人御一代記聞書』:真宗聖典 九〇二頁)
このように念仏生活の実際において嗜むべきことを常にご教化されました。弟子道宗において今お手元の様に「一日のたしなみには、あさつとめにかかさじと、たしなめ。」と毎日の勤行、月々一回の近在の寺へのお参り、年に一回の本山への参詣を心掛けておられたというところにこの師にしてこの弟子ありと感嘆せざるをえないものがあります。さすがに蓮如上人のお弟子、とそういうことを思う。
一. 一日の嗜み
善導大師 一日に六回
そこで一日の嗜み 一日の心がけ。浄土門における勤行の形式を定められたのは善導大師が一番初めです。善導大師は勤行の内容を往生礼讃という本を書いてその中で一日に六回、四時間ごとに勤行をしなさいと言っています。ところが道宗の先生の蓮如上人はこれを二回にして『正信偈』や『和讃』をあげて勤行をしなさいと。先ほどここでしましたそういう勤行をしなさいと、変えられたのです。私たち在家の人達の為に朝晩の二回私たちが出来るようにかえられたのです。
勤行のこころ
1.
自分のため ・・・ご恩徳 懺悔 感謝
2.
他の人のため・・・仏法が届くように
そこで 勤行の心。勤行は何の為にするのか。勤行の心はなんだろうか。それは二つあるのです。一つは自分のため。自分の往生浄土の為なのです。自分の生活が仏法で貫かれるその為。それはどういう事かと言うと、御恩徳を感謝する。弥陀の御恩徳を感謝する。そうして感謝すると共に自分のことを懺悔する。本当に御恩徳を忘れて申し訳ないことですといって懺悔する。この感謝と懺悔ですね。御恩徳に対する感謝と懺悔ですね。それが勤行の目的です。
二つは他の為です。他の人の為です。願わくばまだ仏法を聞かない人の為にこの勤行をすることによってどうかその聞かない人が聞いてくれるように、その末代の人達に仏法が届いていくようにと他の人の為に勤行をするのだと。仏法を聞かない人に仏法が届くように勤行をするのだと。このように善導大師は言われているのです。
私は光照寺の事を考えるのです。開基住職の池田孝郎先生の事に触れたいと思います。先住の池田先生は始めに社長として会社を経営しておられました。しかし宿善の厚いお方で教えに出遇って浄土真宗真に救われ光照寺を興されました。それが四十八歳の時の事で二十九年前の事です。愚庵落慶、光照寺の歩みにそのように書いてある。それは私が思いますのに命がけの決心であった。その為の努力と勉強は半端なものではなかった。勤行にしても大谷派の節があって先生について学習され、教義についても専修学院で学び光明団に入って学びお寺で聞法会をいくつも開いてやり続けられました。それは第一には自分自身のため、第二には他の人の為でありました。その他の人のもっとも近い人は御家族の皆さんです。それで奥様は坊守として得度され、続いて長女三男次男と得度され長男も法名を受け仏弟子を名乗られております。ご一家で聞法、勤行、念仏をされておられます。池田先生は申しておられました。光照寺を末代までも存続させたいと。これは善導の末代までも潤さんという願いと同じです。幸いにも二代目住職池田孝三郎師が誕生されました。私どもにとってこんな嬉しいことはありません。先住の志を引き継いで聞法会を継続されております。私どもは光照寺にお参りされる方が一人でも増加することを念じ、このお寺で一日一日の勤行が継続して営まれることを願っているものであります。これが私の感想です。
二. 一月の嗜み 聞法会に出る
そこで「ちかきところ、御開山様の御座候うところへまいるべしと、たしなむべし。」蓮如上人の時代には宗祖親鸞聖人の御影を写すことは中々許されなかった。それで御影を拝むことのできる寺は沢山はなかったようです。それゆえに相当遠距離までお参りしないと聖人の御前にお礼をすることはできなかった。おそらく聖人のご命日の折など道宗は遠路をいとわず毎月御開山様の御座候うところへお参りされたのでありましょう。毎日毎日のお勤めは多分自宅であったろうが、月に一回はお寺にお参りをする。そして善き師、善き友と語り合い讃嘆し共に励まし教えられる日を持つことは大切な求道の心得であります。人はどんなに自分では精進しているつもりでも、孤立していると、いつしか小さな殻の中に入ってしまいます。喜びも讃嘆も人間の経験として経験される時、遂にマンネリ化になってしまいます。かつての日には心から念仏を喜んでいた人も講習会や会座に何度も出ないでいるとぼやけた状態に陥ります。しかし皆の所に出て善き師、善き友の讃嘆に接し喜びの声に触れると再び生き生きとした表情になってきます。だから私たちに於いては毎月一回どこかの会座に出ること、これが嗜みとならねばなりません。そしていつも念仏を喜ぶ人とならねば申し訳ないことであります。こういうのが一月の嗜み。月に一回は聞法会に出るというそういう事が大事だということです。
三.
一年の嗜み
御本寺 ― 本山
菩薩往覲偈(東方偈)
「己が国も異なることなけん」
そして、一年の嗜み。「一年のたしなみには、御本寺へまいるべしと、たしなむべし」。ご本寺とはご本山のことです。『菩薩往覲偈』という言葉があります。菩薩とは仏法を喜ぶ人の事です。それは、往覲とは自分がこの身を抱えて阿弥陀仏にまみえるということです。参覲交代の覲という字です。ですから阿弥陀仏にまみえる。そして『往覲偈』があります。『東方偈』ともいいます。『大無量寿経』の「下巻」にあります。それはどういう事かというと、東方諸仏国、つまりあらゆる所から仏法を喜ぶ人達が阿弥陀仏の国へ往覲して阿弥陀仏の説法を聞いて喜んで帰ってくるという事が『大無量寿経』の「下巻」の始めの方にあります。そこに行ってどうしたかというと、阿弥陀仏の説法を聞いて自分の国に帰ってきてなんというかというと、「己が国も異なることなけん」。本山と同じようにこの自分の国も異なることなけん、そのような国にしたいと思って帰ってくるという、そういうことが『大無量寿経』の「下巻」の始めの方にあります。私たちがそういう所を持っていることが大事なのです。実際この先ほどの資料を見ますと護持会では本山上山のご案内が含まれております。皆で話し合って今日具体的な話があると思います。話し合って皆で本山へお参りをしたい。そういうふうに思います。
四.
円如 三十二才 ― お文の編纂
「これを円如様きこしめしおよばれ、「よくもうしたる」と、おおせられそうろう。」円如と言う方は実如さんの子供で蓮如さんのお孫さんにあたる。三十二歳の時に亡くなるのです。五帖ある『御文』ですね。『御文』の編集に携わった方ですね。『御文』が出来てその時に亡くなられたそうです。『御文』の編集をされた方です。その方が「よくもうしたる」と、言われたとあります。それは実際「蓮如上人御条々連々聞書」と言う本があるそうですが、それによると道宗は一年に一回ではなく二度も三度も上洛されているという事です。真に自らの嗜みを実行する力のあった人です。円如が道宗の言葉を聞いて「よくもうしたる」と、褒められたのは単に言葉だけを褒められたのではないのですね。それはその言葉の通りを実行した言行一致の人だったのです。
道宗は言行一致の人
言っていることと行いが一致している。そこをほめられたのです。言行一致を褒められたのです。道宗は頼りになる人だったのです。蓮如上人の中に「世間にて、時宜しかるべき、よき人なりというとも、信なくは、心おくべきなり。便にもならず。たとい、片目つぶれ、腰を引き候うようなる者なりとも、信心あらん人をば、たのもしく思うべきなり」という言葉がありますけれども道宗という人は頼もしい人だった。
九八条 一 同じく仰せられ候う。「世間にて、時宜しかるべき、よき人なりというとも、信なくは、心おくべきなり。便にもならず。たとい、片目つぶれ、腰を引き候うようなる者なりとも、信心あらん人をば、たのもしく思うべきなり」と、仰せられ候う由に候う。
(『蓮如聖人御一代記聞書』:真宗聖典 八七三頁)
○私のこと
「君の家庭が成就することが何事よりは大事である」
最後に私の事を話して終わりたいとおもいます。私は四十歳半ば頃に細川先生から一枚の葉書をもらいました。その葉書にこのようなことが書いてありました。「君の家庭が成就することが何事よりは大事である」と。こういう葉書を頂いたのです。以来この言葉は忘れられない言葉なのです。その頃私は小学校高学年の娘が二人と妻との四人暮らしでした。その中で途切れ途切れ勤行をしておりました。それは五年十年聞法する人は朝晩の勤行を怠るようでは言語道断であると夜晃先生がおっしゃっていたからです。その二人の娘達も結婚し孫も三〇歳近くになり私は今八十九歳です。妻との二人暮らしであるが長女達と同居している。妻と二人で朝晩『正信偈』をあげ細川先生の本をその後で読んでおります。たまに娘達と一緒に勤行することもあります。家族で勤行をする、これが私どもの課題だと思います。八十九歳の私達、私の周りには娘達の家族や甥や姪や親族とかの家庭があってそこに子供達もおるのです。今度は亡くなった先生の代わりに私がその人達に向かって、念仏の家庭を成就することが何事よりも大切であると言ってあげる番になってきたのです。本当にそういう番がめぐり合わせてきた。この間私の姪たちが私の故郷の島根県に新しい家を建てて住んだのです。私はその姪にお祝いを送って名号も一緒に送ってあげたのです。姪から名号は家に飾った。子供二人は少年錬成会に出したいと思っている。自分も子供の頃出席して楽しかったからと丁寧な手紙が来ました。本当に嬉しかった。その時に私の母が九十六歳で亡くなっているのですが、いつも私どもの子供達に錬成会に行きなさいよと言っていたことを思い出しました。仏法というのは本当に親から子に子から孫に伝わるものです。皆さんの家庭が念仏の家庭になって下さることを思ってお願いをしたい。私もそういう事を思って知っている人に伝えたい。それを最後に言って死にたいと思っております。たどたどしいお話で申し訳ございませんでしたがこれで終わります。ありがとうございました。
あとがき
本冊子は令和元年六月三十日、第二十回護持会総会における佐々木玄吾先生のご法話の記録です。
「あさつとめにかかさじと、たしなめ」というテーマでお話を頂戴しました。今回も『蓮如上人御一代記聞書』のお言葉をテーマにお話頂きました。
先生は本書にて、『月に一回はお寺にお参りをする。そして善き師、善き友と語り合い讃嘆し共に励まし教えられる日を持つことは大切な求道の心得であります。人はどんなに自分では精進しているつもりでも、孤立していると、いつしか小さな殻の中に入ってしまいます。』とお話されました。
私たちは「世間」の価値観の中にあって、「世間」を生きています。しかし、その「世間」の価値観が私をゆさぶり、何を依り処としているかが問われ、分別を頼りにしていたものが間に合わず、本当に生きている実感が持てません。先生が赤尾の道宗のお言葉を手掛かりにお話しされるように、勤行する、お寺で聞法する、本山へ参るということを通して、殻の中に閉じこもって閉塞感から解放しようと説いている本願のお心に触れる場、そこで善き師、善き友に出遇うことが願われています。
新型コロナウィルスの影響で総会は中止になりましたが、世界中が困惑する中、今、「いのち」とは何か改めて問いかけられ、いよいよ仏智を仰ぐことが求められていると感じています。
先生にはご多忙の中、原稿に目を通して頂き、この場をお借りしまして厚く御礼申し上げます。
又、ご法話のテープを原稿に起こして下さいました、護持会役員の淡海雅子様には多大な感謝を申し上げます。
合掌