■お盆とは■
お盆―正しくは『盂蘭盆会』といいます。このお盆の行事は『盂蘭盆経』という経典にもとづく釈尊のお弟子・目連尊者にまつわる物語に由来するといわれます。盂蘭盆とは〈ウラバンナ〉という梵語の音訳で、「倒懸」と意訳され「木に逆さまにつるされるような苦しみ」を言い、非常な苦痛をたとえたものです。
仏陀釈尊のもとで修行を積んで天眼通を得た目連は、その神通力で亡き母の姿を求めたところ、その母が餓鬼道に堕ちて苦しんでいるのを見てしまった。その苦しむ母を救うため七月十五日の「自恣」(出家者が一室にこもって修行する夏安居の最終日)の日に供養の食物を「盆」に盛って、お釈迦さまのおられる塔にささげ、ついで大勢の仏弟子たちにご馳走した。そして、その功徳によって母が救われたという経説が行事となったもの。
■お盆を迎える意義■(真宗門徒のお盆)
何かと迷信的色彩の濃い行事となっています。お盆にまつわる風習や行事は、各地にさまざまかたちで伝承されています。それらの多くは祖霊信仰(祖先崇拝)と深く結びつき、一般的には冥土から祖先の霊が帰ってくる時と受け止められています。したがって、その霊を追善供養し冥福を祈ることとしてお盆は迎えるものと考えられているようです。そのため、盆棚や精霊棚と呼ぶ祭壇をもうけたり、迎え火や送り火など、さまざまな行事が行なわれています。しかし、お盆がそのようなこととしてのみあるとするならば、それは、利己的、閉鎖的なあり方や除災招福を望む功利的なあり方に根ざした迷信を増幅させる機会とならざるをえません。私たち一人ひとりのいのちは、限りなき広がりをもった歴史と世界を内容として賜わっています。お盆を、賜わってあるいのちへの目覚めを促がしてやまない法会として、亡き肉親や祖先の本当の願いを聞きとっていく機縁として迎えたいものです。
浄土真宗では、自分の善や施物を死者に回向するという思想はまったくありません。またあの世に往っていた霊魂が、お盆とかお彼岸に定例的に帰ってくるという考え方もありません。亡き人は、お念仏の信心によって、仏国土に往生させていただくのですから、この世をなつかしがって立ち帰り、その日に供養しなければあの世に帰れないということはないわけです。ですから、迎え火や、送り火はたきませんし、精霊棚をしつらえません。亡き人を霊として畏れ敬うのか、それとも諸仏として仰ぐのか、一人ひとりが真実の教えに出遭うことの意味を深く考えるご縁にしていきたいものです。
お盆は両親の恩、亡き人の恩を知らされる日でもあるのです。お盆のいわれにちなんで亡き人を偲び、ご縁のある方皆で、お念仏していく、それが真宗門徒のお盆の迎え方です。
<お盆を迎えるにあたって@> ・お仏具を磨きましょう。 ・ほこりなどを落とし清潔にしましょう。 ・打敷をおかけしましょう。 ・家族そろってお参りしましょう。 |
不明な点がありましたらお気軽に 当寺にご相談下さい。 <お盆を迎えるにあたってA> |